仙台高等裁判所 昭和35年(ネ)351号 判決 1961年7月24日
控訴人
横山満司
外一名
被控訴人
岸ヒサ
外七名
主文
原判決をつぎのとおり変更する。
控訴人両名は、各自、
被控訴人岸ヒサに対し金一〇八、三一一円、
被控訴人岸むめに対し金二八、五二二円、
被控訴人斎藤とよ子に対し金八三、三九一円、
被控訴人鈴木ひで子に対し金二、一五〇円、
被控訴人竹田ハナ子に対し金二、二〇〇円、
被控訴人渡部ちうに対し金二、一八〇円、
被控訴人松永よし子に対し金二、一八〇円、
被控訴人旭光子に対し金二、二〇〇円、
並びに被控訴人らに対しそれぞれの右各金員に対する昭和三四年九月三日から各完済までいずれも年五分の割合による金員を支払え。
被控訴人らの控訴人らに対するその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その三を控訴人らの負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。
事実
控訴人ら代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張並びに証拠の提出、援用、認否は、
被控訴人ら代理人が、
一、被控訴人らの控訴人横山満司に対する請求原因を、第一次的には自動車損害賠償保障法第三条の規定によるものとし、第二次的に民法中不法行為の規定にもとづくものと訂正する。
二、(一) 原判決四枚目表末行目の「怠つて」と「運転進行し」との間に、「そのまま時速三五粁で」を挿入し、同裏四行目冒頭の「だ」を抹消して、この部分に「で急停車の措置をこうじなかつた」を挿入する。
(二) 控訴人横山満には、なお、つぎの如き過失があつた。
(1) 本件事故発生当時は、寒気きびしく、そのため、右事故現場付近の路面が氷結しており、このことは、当然予想し得べきはずのものであつたにもかかわらず、これを予知せず、ために、右に対処し得べき安全運転の措置をこうじなかつた。
(2) 本件事故現場付近にさしかかつた際、その進路前方に女が歩行し、同左側家屋の軒下に一〇数名の者が並列しているのを現認しながら、安全運転の措置をとらなかつた。
三、控訴人ら主張の後記三の事実を否認する。
四、控訴人ら主張の後記四の事実のうち、本件現場付近が繁華街で、道路の交通量が多く、アスフアルトの舗装道路で、路面が氷結していたこと、本件事故発生当時、被控訴人らが道路の西端から〇・六米の位置に二列に並んで記念撮影をしていたことは、いずれも認めるが、被控訴人らに過失があつたとの点は、否認する。
と述べ、(立証省略)
控訴人ら代理人が、
一、本件事故は、当時事故現場の長崎屋表路上に撒水されて、それが寒気のため氷結していたがために発生したものであつて、控訴人満の自動車運転上の過失によつたものではない。即ち、同控訴人は、当時時速三〇粁位の速度で道路中央付近を運転進行していたところ,進路前方右側を自転車に乗つてふらふらと進行してくる婦人のいることを認め、危険を感じ、自動車のハンドルを左に切つて進行しようとした。丁度、その時、長崎屋店舗の南側出入口から子供連れの婦人が突如として自動車寸前の道路に出て来たので、控訴人満は、咄嗟に自動車のハンドルを右に切ると同時に、フツトブレーキをかけ、急停車の措置をとつたために、自動車は、即時停車し、一応危難を避けることができたのであつたが、路面が凍つていたので、自動車は、斜め右に方向を変えたまま、道路の中央付近から長崎屋よりに直線的に斜めに横すべりして行つて、同店前路上〇・六米の地点に二列に並んで写真を撮つていた被控訴人らに自動車を衝突して、本件事故を起すにいたつたものである。
当時路面に打水がなされて氷結していたのは、長崎屋の前だけであり、かつ、付近はアスフアルト舗装されて黒色となつていて打水が氷結しても路面と同じ色であつたため、控訴人満は、右氷結に気付かなかつた。そして、自動車運転者にこれが予知を期待することは、ほとんど不可能を強いるものというべく、控訴人満が、これに気付かなかつたことをとらえて、同控訴人に過失があつたものということはできないし、本件事故の発生につき、同控訴人に過失があつたものということはできない。
二、本件事故による傷害のため、被控訴人岸ヒサ、同斎藤とよ子の両名がいずれも休業したことは認めるが、その余の被控訴人らにおいて休業した事実はない。また、被控訴人岸ヒサ、同斎藤とよ子を除いたその余の被控訴人らは、全く医師の治療を受けなかつた者もおり、治療を受けた者でも、負傷の程度が極めて軽かつたため、ほとんど費用を要しなかつたものであつて、いずれも、精神的苦痛などはこうむらなかつたものである。
三、仮りに、本件事故発生につき、控訴人満に過失があつたとしても、本件事故発生後間もなく、控訴人両名と被控訴人らとの間に、控訴人らが自動車損害賠償保障法にもとづいて締結していた自動車損害賠償責任保険契約による保険金約一〇万円を、被控訴人らにおいて受領し、ほかに、控訴人両名が被控訴人らに対し一括して金五万円を支払うとの和解契約が成立したから、控訴人両名は、右の和解契約にもとづき、被控訴人らに対し五万円の支払義務があるにすぎない。
四、仮りに、本件事故発生につき、控訴人満に過失があり、かつ、右三の和解契約が成立しなかつたとしても、本件事故現場付近は、繁華街の中心地であつて、交通量が極めて多い場所であるところ、道幅が狭く、しかも、当時は、撒水のためにアスフアルト舗装の路面が氷結していて、スリツプなどによる自動車事故などの交通事故が発生し易い危険な状態にあつたのであるから、かかる道路上に二列にもなつて立ち並べば、このことによつて、自らいかなる交通事故を招来するかもしれないことを予見し得べきはずであつたにもかかわらず、被控訴人らは、不注意にも、これを予見せず、道路の西端から〇・六米の地点に二列に並んで記念撮影をしていたため、ついに本件事故が発生するにいたつたものであつて、本件事故の発生については、被控訴人らの側にも、右の如き重大な過失があつたのであるから、損害賠償の額を定めるについては、過失相殺さるべきである(原判決五枚目表一三行目冒頭の「又、」から同裏六行目の「べきである」までを、右の如く訂正する。)。と述べ(立証省略)たほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。
理由
一、控訴人横山満司が、牛馬商を営み、自家用小型四輪貨物自動車(山形四す一、八三七号)一台を所有して、これを営業上使用しているものであること、控訴人横山満が、控訴人満司の三男であつて、父の営業である牛馬商の手伝をし、右貨物自動車の運転業務に従業しているものであること、および控訴人満が、昭和三四年一月二日午前八時五〇分頃、右貨物自動車を運転進行中、山形県長井市小出一、三九九番地の衣料品販売店長崎屋前付近の道路上において、自動車事故を起し、そのため被控訴人らに対してそれぞれ傷害をこうむらせたことは、いずれも、当事者間に争いがない。
二、そこで、まず、右自動車事故についての控訴人満の不法行為にもとづく責任の有無すなわち被控訴人ら主張の過失の存否について判断する。
成立に争いのない甲第一ないし八号証、乙第一号証(たゞし、後記の措信しない部分を除く)、同第二号証の一ないし八に、原審証人野口ゑい、金子実、岸長助、高梨常雄、原審並びに当審証人那須愨の各証言(たゞし、原審証人高梨常雄、那須愨の各証言中後記の措信しない部分を除く)、原審における検証、原審並びに当審における控訴人横山満本人尋問の各結果(たゞし、右控訴人本人尋問の結果中後記の措信しない部分を除く)を総合すると、本件事故現場付近は、道路の両側に主として商店が密集して建ち並んでいて、繁華な商店街を形成しており、平常歩行者並びに諸車の通行が頻繁であること(本件事故現場付近が繁華街で、道路の交通量が多いことは、当事者間に争いがない。)、同現場付近の道路は、アスフアルトで舗装されていて(このことは、当事者間に争いがない。)、その幅員が約七米にすぎないこと、昭和三四年一月二日当日は、正月中であつて、長井市におけるその年の初市が開かれた日であり、寒気がきびしかつたこと、控訴人満は、控訴人満司の指示にもとづき、同控訴人の営業に関して、牛を積載運搬するため、同日午前八時三〇分頃、車長四、二七八米、車幅一、六七五米の前記貨物自動車の運転者席に乗車し、助手席には高梨常雄を同乗させて、同市今泉九七二番地の自宅を出発し、自ら右貨物自動車を運転操縦して、米沢左沢線県道中の通称同市本町通を南方から北方に向い時速約三五粁で進行したこと、同控訴人は、右出発に際し、その日が前記初市の開かれる日であることを知つていたこと、前記の如く、当日は寒気がきびしかつたので、自動車等の運転に従事する者としては、少くとも午前中の気温の低い間は、アスフアルト舗装道路中の水分のある部分の路面が凍結して、通行の自動車等諸車がいわゆるスリツプし、そのため交通事故を惹起するかもしれない箇所のあることを当然予想し得べき状況にあつたこと、かかる状況のもとにおいて、控訴人満は、前記の如く、同日午前八時五〇分頃、依然として時速約三五粁で進行して、前記長崎屋手前二〇数米の道路上にさしかかつた際、右前方約一九米の地点に、女がハンドルに子供を乗せた自転車を手でひいて来るのを発見し、さらに、右長崎屋店先の道路の西端から〇・六米の位置に、被控訴人らを含めた二〇名ぐらいの者が二列に並んで記念写真をとつているのを認めた(本件事故発生当時、被控訴人らが長崎屋店先の道路の西端から〇・六米の位置に二列に並んで記念撮影をしていたことは、当事者間に争いがない。)が、そのまま前同様の速度で進行しているうち、前方約五米の地点で、自転車を手でひいて来ていた右の女が同自転車に乗ろうとするような気配を示してそのハンドルを動揺させているのを認め、直ちに同貨物自動車の足ブレーキを踏むとともにそのハンドルを左にきつたところ、同自動車の後部荷台がなにものかに接触したような衝撃を感じたので、前記長崎屋南側前付近で、運転者席右側の窓から後方をふりかえると同時に足ブレーキから足をはずし、その間同自動車の後部荷台を通行中の訴外野口ゑいに接触させて、同人を右長崎屋店先に転倒させ、さらに、同乗の前記高梨常雄の叫び声を聞いて、あわてて再び足ブレーキを踏んだが、同所付近のアスフアルト舗装路面が撒水のため氷結していた(当時、同所路面が氷結していたことは、当事者間に争いがない。)のに、右貨物自動車の進行速度が速きに失したため、直ちに急停車することができず、スリツプのためその車体を斜右向きのまま前方に横滑りさせて、その後部荷台等を、前記長崎屋店先に並んでいた二〇名ぐらいのうち北側にいた被控訴人らに接触させて、その一部を付近に転倒させ、さらに、右長崎屋前をそのまま通過して、途中、訴外金子実をはねとばした末、同長崎屋北隣の竹田喜蔵方板塀に自動車の左後部荷台を衝突させ、同板塀を破損させて、ようやく停車し、これがため、被控訴人らに対して、その主張(ただし、各治療期間に関する部分を除く。)の如き傷害をこうむらせたこと、その際、控訴人満は、前記貨物自動車について、スリツプ防止のための装置を施していなかつたことをそれぞれ認めることができ、これに反する乙第一号証の記載、前記証人高梨常雄、原審証人那須愨の各証言および前記控訴人横山満、原審並びに当審における控訴人横山満司各本人尋問の結果は、前記の各証拠に照らして信用できないし、他に右認定を左右すべき証拠はない。
そして、自動車の運転者たるものは、平常交通量が多い道路であるのに、その幅員が狭く、しかも、運転当日が祝祭日等であつて、平日より以上の交通量が予想され、かつ、寒気のきびしい日時に、アスフアルト舗道上を運転進行しようとする場合には、当然、路面中氷結箇所があつて、スリツプによる交通事故を惹起するかもしれないことを予見し、その運転する自動車にスリツプ防止の装置を施すか、自動車の速度を相当に減ずるかして、たえず路面上の氷結箇所並びに進路前方を注視し、危険を認めたときには、いつでも直ちに急停車の措置をとり得、かつ、適確に急停車の成果をあげ得るよう万全の注意をし、事故の発生を未然に防止しなければならない注意義務があるものというべきであるところ、右の認定事実によると、本件交通事故によつて被控訴人らのこうむつた前記各傷害は、控訴人満が、右の注意義務を怠り、アスフアルト舗装路面に氷結箇所のあることを予見せず、交通頻繁な本件事故現場付近の道路上を、スリツプ防止の装置を施すことなく、漫然と時速三五粁のままで進行したため、急停車の措置をとつたけれども、急停車するにいたらず、その成果が得られなかつたことに基因するものと認めるのを相当とするから、右は、同控訴人の過失によるものといわなければならない。
控訴人らは、事実摘示一の如く、本件事故の発生につき控訴人満にはなんらの過失はないと主張する。そして、本件事故現場付近の路面が当時氷結していたこと、控訴人満が本件事故発生前このことに気付かなかつたことは、いずれも、前認定のとおりであるが、その余の右主張事実を認めしめるに足りる証拠は存しない。そうすると、控訴人満は、被控訴人らに対して、右の過失による不法行為にもとづく被控訴人らの各損害を賠償すべき義務があるものというべきである。
三、つぎに、本件交通事故についての控訴人満司の自動車損害賠償保障法第三条の規定にもとづく責任の有無について判断する。
控訴人満司が、牛馬商を営み、前記の貨物自動車一台を所有して、これを営業上使用しているものであること、控訴人満が、控訴人満司の三男であつて、父の営業である牛馬商の手伝をし、右貨物自動車の運転の業務に従事しているものであること、および控訴人満が、控訴人満司の指示にもとづき、同控訴人の営業に関して、牛を積載運搬するため、昭和三四年一月二日午前八時三〇分頃、右貨物自動車を運転して前記自宅を出発して、本件現場付近を進行中、同日午前八時五〇分頃、前記長崎屋前付近の道路上で交通事故をひきおこし、そのため被控訴人らに対して前記の各傷害をこうむらせたことは、いずれも、前認定のとおりであつて、右は、自己のためにその保有する前記貨物自動車を運行の用に供していた控訴人満司が、その運行によつて被控訴人らの身体を害したものと認めるのが相当であり、自動車損害賠償保障法第三条本文に定められた場合に該当するものと解するのを相当とするところ、本件交通事故によつてこうむつた被控訴人らの右各傷害が、前記貨物自動車の運転者たる控訴人満の過失に基因するものであつたことは、前認定のとおりであり、かつ、右自動車の保有者である控訴人満司が同自動車の運行に関し注意を怠らなかつたことについては、前記証人高梨常雄、原審証人高梨万蔵の各証言および原審並びに当審における控訴人両名本人尋問の結果をもつてしては、いまだこれを認めしめるに足りないし、他に右事実を認めしめるべき証拠がないから、控訴人満司は、同法第三条、第四条、民法第七〇九条、第七一〇条にもとづき、被控訴人らに対し、右の貨物自動車の運行により被控訴人らの身体を害したことによつてこうむらしめたその各損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。
四、そこで、本件交通事故によつてこうむつた被控訴人らの損害額について判断する。
被控訴人らが、本件交通事故によつて、その主張(たゞし、治療期間に関する部分を除く。)の如き傷害をそれぞれこうむつたことは、前認定のとおりであり、これに、前記甲第一ないし八号証、成立に争いのない同第九ないし二〇号証、同第二二ないし二六号証、前記の証人岸長助の証言(後記の措信しない部分を除く。)を総合すると、(一)被控訴人岸ヒサは、前記の如く本件事故発生の日である昭和三四年一月二日、医師渡辺亮の治療を受けて、その費用一、一五八円、同日から五八日間、医師大場源三方に入院して治療を受け、さらに、退院後、同年三月二三日まで同医師の往診等による治療を受けて、その費用二〇、二二三円、同年一月三日から同年三月一二日まで山形看護婦家政婦紹介所派遣看護婦の付添を受けて、その費用二〇、七三〇円以上合計四二、一一一円を支払つたこと、(二)被控訴人岸むめは、同年一月二日から同月二四日までの間、延べ一四日間にわたつて、前記渡辺亮から通院並びに往診による治療を受け、同年四月八日、その費用三、九二二円を右医師に支払つたこと、(三)控訴人斎藤とよ子は、同年一月二日、右医師の治療を受け、同年四月八日、その費用一、五二九円を同医師に支払い、同年一月二日から二五日間、前記大場源三方に入院してその治療を受け、さらに、退院後同年二月二八日まで右医師の治療を受けて、その費用一七、二六二円を支払い、結局、医療費としては、合計一八、七九一円を支払つたこと、(四)被控訴人鈴木ひで子、(五)同竹田ハナ子、(六)同渡部ちう、(七)松永よし子、(八)同旭光子は、いずれも、同年一月二日、前記渡辺亮の治療を受け、(四)の被控訴人の右治療費が一五〇円、(五)並びに(八)の被控訴人らのそれが各二〇〇円、(六)並びに(七)の被控訴人らのそれが各一八〇円であつて、これを支払つたこと、(一)の被控訴人は、前記長崎屋を経営する岸長助の母であつて、その営業の監督者の一人であるが、右の傷害によつて、少くとも、本件事故当日たる前記昭和三四年一月二日から同年三月二三日までの八一日間休業するの止むなきにいたつたこと(同被控訴人が休業したことは、当事者間に争いがない。)、(二)の被控訴人は、前記岸長助の妻であつて、長崎屋二階呉服売場の監督者的な地位にあるものであるが、右の傷害によつて、少くとも、前記事故当日から同年一月二四日までの二三日間、休業するの止むなきにいたつたこと、(三)の被控訴人は、前記長崎屋の店員であるが、右の傷害によつて、少くとも、前記事故当日から同年二月二八日までの治療期間、その後一五日間の温泉療養期間を合計して、七三日間休業するにいたつたこと(同被控訴人が休業したことは、当事者間に争いがない。)、その余の(四)ないし(八)の各被控訴人は、いずれも、右長崎屋に店員として雇われていたものであること、(三)ないし(八)の被控訴人らの長崎屋における当時の給料は、いずれも、月平均六、〇〇〇円ぐらいであつたこと、(一)ないし(八)の各被控訴人の生年月日は、順次、明治二九年一一月九日、大正八年九月一九日、昭和一二年三月三〇日、昭和九年二月二四日、昭和一〇年四月一九日、昭和九年三月二八日、昭和一二年三月二〇日、昭和九年一二月二五日であること、前記渡辺亮は、(四)ないし(八)の被控訴人らの各傷害の全治日数について、(四)のそれを二日間、(五)並びに(八)のそれを各五日間、(六)並びに(七)のそれを各三日間と診断したことをそれぞれ認めることができるが、甲第二七号証の記載並びに前記証人岸長助の証言中、被控訴人ら主張のその余の各休業日数にそう部分は、にわかに信用しがたく、他にこれを認めしめるに足りる証拠はないし、被控訴人ら主張の(一)の被控訴人のその余の医療費、(一)並びに(二)の被控訴人らの休業が一日につき各五〇〇円の、(三)の被控訴人のそれが一日につき三〇〇円の損害を同被控訴人らにこうむらしめたものであることについては、これを認めしめるに足りる証拠はない。
控訴人らは、事実摘示二の如く主張するが、前記(二)の被控訴人の休業、同(二)並びに(四)ないし(八)の被控訴人らの医師の治療費および負傷の程度について右の主張にそう当審証人高梨万蔵、原審並びに当審における控訴人各本人の供述は、前記の各証拠に照らして信用しがたく、また、前記乙第二号証の二によると、被控訴人鈴木ひで子が長井警察署において司法警察員から本件事故につき参考人として事情を聴取された際、負傷は受けたが、医者にはかからなかつたと供述したことを認めることができるが、同号証によると、その供述の日が昭和三四年一月二日であることを認めることができ、これに、前認定の本件事故発生の日時が同日午前八時五〇分頃であつた事実並びに同被控訴人が前記渡辺亮の治療を受けたのも同日であつた事実を総合して考えると、同被控訴人は、本件事故発生後、まず、右の如く参考人として事情を聴取され、しかる後右医師の治療を受けたものであることを推認できるから、同被控訴人の右の如き供述が認められるからといつて、同被控訴人がその負傷につき一度も医師の治療を受けたことがないものと認めなければならないものではないし、他に右(二)並びに(四)ないし(八)の被控訴人らの前記事項についての控訴人らの右主張を認めしめるべき証拠はない。
右の認定事実によると、(三)ないし(八)の長崎屋店員としての被控訴人らの給料は、平均一日につき二〇〇円であることが計算上明白であるから、他に特段の事情の認められない本件においては、(三)の被控訴人の休業による損害は、一日につき二〇〇円と認めるのが相当であり、(一)並びに(二)の被控訴人らは、それぞれ前記岸長助の母並びに妻であつて、いずれも長崎屋における監督者の地位にあるものであるが、他に同被控訴人らが休業することによつてこうむつた損害額を認めしめるべき証拠のない本件においては、その各損害額は、(三)の被控訴人のそれと同様、少くとも一日につき二〇〇円を下らないものと認めるのを相当とするから、(一)の被控訴人の医療並びに休業による損害額は五八、三一一円、(二)の被控訴人のそれは、八、五二二円、(三)のそれは三三、三九一円となることが計算上明らかであり、(四)の被控訴人の医療による損害は、一五〇円、(五)並びに(八)の被控訴人らのそれは、各二〇〇円、(六)並びに(七)の被控訴人らのそれは、各一八〇円(以上医療によるものは、その医療費と同額)と認めるべきものであるところ、被控訴人らが、本件交通事故によつてこうむつた前記の各傷害により、いずれも精神的苦痛を受けたことは、自明の理であつて、前認定の被控訴人らの各年齢、地位、収入、傷害の程度および休業日数その他一切の事情を斟酌すると、被控訴人らのこれによつてこうむつた損害の額は、(一)の被控訴人が五〇、〇〇〇円、(二)の被控訴人が二〇、〇〇〇円、(三)の被控訴人が五〇、〇〇〇円、(四)ないし(八)の被控訴人らが各二、〇〇〇円と認めるのが相当であるから、被控訴人らの財産上並びに精神上の損害額は、(一)の被控訴人のそれが一〇八、三一一円(二)の被控訴人のそれが二八、五二二円、(三)の被控訴人のそれが八三、三九一円、(四)の被控訴人のそれが二、一五〇円、(五)並びに(八)の被控訴人らのそれが各二、二〇〇円、(六)並びに(七)の被控訴人らのそれが各二、一八〇円となることが計算上明らかである。
そうすると、控訴人らは、各自、被控訴人らに対し、右各金員を支払うべき義務があるものというべきである。
五、控訴人らは、事実摘示三の如く、当事者間に和解契約が成立したと主張するが、これにそう前記証人高梨常雄、原審並びに当審における証人高梨万蔵並びに控訴人両名各本人の供述は、後記の各証拠に照らして信用できないし、他に右主張事実を認めしめるべき証拠がないのみならず、前記証人岸長助、原審証人竹田喜蔵の各証言を総合すると、当事者間において和解交渉がなされた事実はあるが、それが成立するにいたらなかつたことを認めることができるから、控訴人らの右主張は、すでにこの点において理由がない。
六、また、控訴人らは、事実摘示四の如く、過失相殺を主張する。そして、本件事故現場付近が繁華街であつて、交通量が多いのに道路の幅員が約七米にすぎず、しかも、当時、撒水のためアスフアルト舗装の路面が凍結していて、スリツプなどによる自動車事故などの交通事故が発生し易い危険な状態にあつたこと、当時、被控訴人らが前記長崎屋店先の道路の西端から〇・六米の位置に二列に並んで記念写真をとつていたことは、いずれも、前認定のとおりであるが、それだからといつて,被控訴人らにも過失があつたものと認めなければならないものではなく、他に控訴人ら主張の如く本件事故発生につき被控訴人らにも過失があつたことを認めしめるに足りる証拠がないのみならず、控訴人満が、本件事故発生前後において、前記通行人二名にも、その運転する貨物自動車を接触させて、同人らを付近に転倒させ、かつ、停止地点において、その後部荷台で板塀を破損させたことは、前認定のとおりであるところ、同じく前認定事実によると、被控訴人らは、幅員約七米の道路の西端からわずか〇、六米の前記長崎屋店先の地点に、しかも、単に二列に並んでいたにすぎないのであるから、右は、通行人に比して、諸車の往来に危険を生ぜしめるものではなく、かつ、前認定の本件事故発生前後の模様に、前記乙第二号証の二ないし三、右証人岸長助の証言を総合すると、前記の本件事故現場付近の撒水は、長崎屋店員渡部栄次がしたものであつて、被控訴人らがしたものではないこと(右が、被控訴人らのうちのあるものの指示、容認または承知のもとになされたことを認めるべき証拠はない。)、被控訴人らは、右の如く、同じ位置に、しかも道路側に向いて、単に並んでいたにすぎないのであつて、道路を背にして諸車の往来を知り得ない危険な状態にあつたとか、または特に奇異あるいは危険な行動をしたとかなどということは、全くなかつたこと、被控訴人らは、本件事故発生前、前記貨物自動車に気付いていたが、それが急停車をした途端、たとえ路面が氷結していたとはいえ、通常人としては予想外の右斜め向となつたとみるや、いきなり早い速度で横滑りのまま、通常人としては当然安全な場所と目すべき被控訴人らの前記地点に殺到して来、これを避けようとして、避けることができなかつたことを認めることができるから、被控訴人らには本件事故の発生につきなんらの過失はなかつたものというべきであり、したがつて、控訴人らの右主張は、すでにこの点において理由がない。
七、してみると、被控訴人らの控訴人らに対する本訴請求は、控訴人らに対して各自前記各金員およびこれらに対する本件訴状送達の日の翌日であることが本件記録に徴して明らかな昭和三四年九月三日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度においては正当であるから、これを認容すべきであるが、その余の請求は失当としてこれを棄却すべく、これと異る原判決を右の限度に変更すべきものとして、民事訴訟法第九六条、第九五条、第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 鳥羽久五郎 羽染徳次 桑原宗朝)